teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


新着順:13/13 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

4 鉱物氏族・多氏の分布

 投稿者:かわかっちゃん  投稿日:2007年12月21日(金)13時13分40秒
  通報 編集済
  東アジアの犬祖伝説分布
この調査でわかることは犬戎、槃瓠が持ち、やがて越、呉、秦へと引き継がれる犬祖伝説が
独自に海を渡って日本列島にまで民間レベルで及んでいることでしょう。これは日本人が彼らの子孫であるかないかの問題ではなく、伝承が海人によって?はるか昔から届いていたという事実です。それをどう判断するかは皆さんの自由ですが。
1 丹生氏は最初の鉱物採集民か?
今の段階では、丹生氏を最古の鉱物採集民とする説には異論もあろうが、文献上に現れる
氏族の中で最も古くから水銀を採集していた氏族あるいは彼らの管理者であったと言えるだろう。おそらく縄文時代から?

その分布の最も西よりなのが大分県臼杵市藤河内地区松原(訂正。松が嶽地区。6章に写真)ではないかと思う。
ここが極めて阿蘇に近いことから、おそらく弥生時代には阿蘇氏多一族の侵入に巡り会った
最初の縄文部落のひとつではないかと考えている。

阿蘇、あるいは祖母・傾山系を源流とする大野川は大分市丹生遺跡、丹生川遺跡を通過して、海部の大古墳亀塚、築山のある坂ノ市・王の瀬地区の河口へと流れ出る。

その大野川の源流沿いに古代から栄えた木浦鉱山、尾平鉱山という、極めて埋蔵鉱物種類の多い九州屈指の鉱山があり、各所に多氏の痕跡がある。

したがって支流である丹生川沿岸にあった水銀鉱脈や鉄分を含む高師小僧を、主として呪術、顔料を目的として採集活動を行っていた先住縄文人たちが丹生地域にいて、その定住先は九六位山をまたいだ臼杵市藤河内、諏訪地域にあったと見られるのである。

科野国造家、諏訪大社大祝、のちの金刺氏や他田(おさだ)氏が、阿蘇氏を大元とすると書いている。だからと言ってその内容がまったく間違いないとは誰にもわからない。しかし諏訪大明神絵詞や神道集の記述を分析すると、のちに伝説上の人物として現れる甲賀三郎訪方(諏訪頼方)が蛇体となって近江の人穴(坑道)から諏訪に出てくる話はあきらかに大和三輪山の苧環伝説を背景としており、蛇=大和大物主と考えられることから、多氏大三輪氏の伝説的鉱物神格を頼方が持っていたことになろう。

確かに伊予の河野氏は中世に伝説的鉱物採集者である河野大蔵之丞金次(こうのおおくらのじょうかねつぐ)を排出した。しかも弘法大師・空海が出た讃岐佐伯氏とはほぼ親戚関係だったことは司馬遼太郎氏の『空海のいる風景』にも記述がある。

少なくとも、熊襲の球磨地方の人々が、九州の大王・景行天皇に滅ぼされた後の記述は歴史書にはまったくないのである。けれど、想像を逞しゅうすれば、それだけの技術と知識と眷属である技術者集団を持つ彼らを簡単に絶滅させる必要がないのではないか。持っている知識なら利用するのが当然だろう。

事実、もう一方の阿多隼人たちの船舶操縦術は神武東征にも利用されたに違いなく、それは後に阿多隼人が天皇家直属の衛士となることでもあきらか。
ノーコメント。ただ分析されたし。
参考になればいつでも利用されたし。気持ちがあるならその時はご一報下さると嬉しい。

水銀鉱脈と多氏・大生部地名及び知事比定地、と安曇地名及び拠点の分布(途中経過・改善の余地あり)


青色円内は文献上の多氏、大生部の分布と現在確実な「おお」地名の一部。神社マークは丹生津比売が祭られている、乃至は祭られていた水銀関係神社と閼伽関連神社。

1  火の君
2  筑紫三家連
3  阿蘇国造家(阿蘇氏)
4  大分の君(海部氏)
5  伊余国造家・印旛国造家(常陸国の印旛沼のいんばと同音同表記)
6  広島県佐伯郡周辺から岡山県西部の佐伯臣・佐伯連
7  讃岐の雀部(さざき)・雀部造
8  茨田(まんだ)連(現在の学研都市線・茨田大宮(まったおおみや)周辺)
   および河内の陶邑のおおたたねこ。
   京都の小子部氏。すがるを出す。すがるとは蜂=雷
9  小長谷造(おはつせのつくり奈良県吉野郡)
   高市郡高取町や五條市の坂合部氏。
10 都祁直(つげのあたい・奈良県吉野郡つげ)
   および磯城郡田原本町大字多の多座弥志理津比子神社
   (和名抄では十市郡飫冨おう)周辺。
   さらに桜井市三輪山の大三輪氏。のちに宇佐大神氏も?
11 伊勢の船木直およびこれは異伝で熊野の紀氏。
12 尾張の丹羽臣
13 伊豆安積氏のちの伊東氏
14 上総の長狭国造
15 常陸国鹿島の板来(いたく、今の潮来か?)の建貸間命
   (たけ・かしまの・みこと)を奉じる佐伯氏出身坂合部氏
   常道(茨城県北部)の那珂国造(ここには肥前杵島山と同じ名前の山がある。)
   および秦河勝に叱咤された大生部大。佐伯氏は鹿島の国樔の民を引率管理。
16 道奥の岩城国造(福島県がみちのく!鹿島はみちのくちと言った。
   つまりここから東北だった)
17 科野国造家・のちの金刺氏や他田(おさだ)氏。
   (金刺氏の家紋は三つ葉梶の葉で諏訪大社に似る。)
18 出雲の意富郡の意富氏。
19 出石の伊福部神社周辺の大生部
20 近江の伊吹山の伊福部氏

なお、以上の他にも地名の「大、多、大生、青、蒼、三輪、太、意富、邑生、飫富、於保、大生原、原、杵島、大炊、飯宝、飯富、青梅、奥武、大野、太田などの地名や人名周辺に水銀鉱床あるいは鉄鉱床が有る場所、田園、また漁師町、木地師のいた山林などに多氏の痕跡があると思われる。また古事記書写したという太安万侶も一説では多氏だと言う。

ただし!以上すべては後世の1、附会 2、血縁関係を結んだ 3,彼らを管理した・・・などなどのつながりもあり、すべてが「同族」とは言い難い。
ただ多氏の痕跡には必ず水銀鉱脈と中央構造線、および丹生津比売神社が関わる。また、「います」系神社も今後注目すべし。

黄色いマーキングの安曇族分布はいまだに未定である。ただし海人族安曇と多氏は同根あるいは血縁であることはほぼ間違いなく、それは奈良の葛城氏が鴨系であることと対応するかと思える。

大伴氏、物部氏と中臣氏と海部氏はまず間違いなく彼らの中にいた、乃至は彼らを管理していた。
蘇我氏は葛城氏の墳墓のある二上山、葛城山周辺を本拠とした葛城系統の鉱山氏族から出たのではないかと思う。これは未定。
なお、中世以降に起きた多氏氏族の流残が伊豆などで起きているがそれはあとの時代なので入れていない。

下の秦氏分布図と安曇、多氏の分布を比較すると「棲み分け」と「同棲」があることがわかる。これはおそらく渡来人秦氏の来日が遅れたことが関与している。秦氏はすでに水銀よりも鉄や銅といった具体的武力・農業力のための鉱石によって殖産興業という大きな権威を欲していたからだろう。もちろん、仙薬、顔料としての丹もいくらかは必要とし、そこで海人族系多氏大生部との管理、被管理関係を作ったのではないか?
それは主に利害関係であり、多氏の臣や値の多くが5世紀前には各地の首長になっていったのにはやはり秦氏や藤原氏への献身があったためであろう。
だが、多氏の配下にいた「多人」たちの中には、先住民としてすでに丹を採取していた土蜘蛛や国樔がいたわけで、彼らが資源や技術を利用されていたことはまず間違いない。
「鬼」とは彼ら常民の中の「多」姓を名乗る者たちのことである。管理者のことではない。
それが百合若大臣や桃太郎話が派生したひとつの類型ではないかと考える。
それは安曇も含めておおよその先住民がそうだったはずである。


秦氏の分布(古代で遊ぼサイト川上氏制作)
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/kk10.html

比較されたし。

なお、多氏の各氏族は皆、天孫の兄弟とされる神八井耳命あるいはその弟神の彦八井耳命から出た建磐龍命(たけいわたつのみこと)を祖神とする。科野国造は建五百龍(たけいおたつ)、鹿島の坂合部氏は建貸馬(間)命をそれぞれ祖とするが、これも神八井耳の子神である。

神八井耳命の「耳」は魏志の官職名からであろうか。宮崎県に耳川、美々津港地名がある。
神八井耳には今一人弟がいて、それは綏靖天皇となる。西都原にある都萬神社は大山積とその娘・このはなさくや姫が祭られる。この神社には「お乳の神様」が祭られてもいるが、若尾五雄は『黄金と百足』の中で「お乳信仰」とは鉱石から染み出す水銀のことであると書いている。



建磐龍命は阿蘇開闢の神で、蹴り裂け権現である。「裂け」とは「避け」であり、いわゆる秦氏の「避け」「酒」と同じ意味であろうか?秦氏と多氏のつながりを考える時、この「さけ」でのつながりは重要であろう。

以上までの記事2006年11月4日編集 かわかつ著 つづく

多氏などの水銀・鉱物資源採集民が居たところには必ず同じような地名が残る。
それは鉱物そのもの(丹生、壬生、入田、入川、遠敷、青、赤、閼伽など)であったり、梶とか鍛冶屋、蹈鞴、ととろ、轟といった加工職名だったり、あるいは彼らに付随して入植した職能民(紙漉、桑畑、由布、由、柚、雉子、犬鳴、犬吠、深草、須恵、ろくろ、六郎丸、九六位など)がいたための地名なのではないか。

丹後、丹波、丹比なども同じであろう。福井の遠敷という表記は後世のものであろう。ネコ流し淘汰法で使うムシロを「敷く」こととなにか関係がありそうだ。

水銀鉱脈には自然に砂鉄、砂金を作る溶解性がある。
また水銀はあらゆる鉱物を粒子にして溶かし込む力がある。
従って鉱物を探す場合、まず水銀鉱脈を発見するのが手っ取り早い方法である。
修験者や山師は峰入りする際に、まず
1 河口の砂を調査分析する。
2 必要な粒子があれば川を遡って
3 赤茶けた岸壁などを探し
4 あたりの植生を調べ、笹百合、箱根シダ、楓などの「指標植物」を探す。
5 楓などに群がるスズメバチなどを探す。
6 たたら製鉄に充分な風が吹く場所も併せて探す。(福原、伊福、於福、息長、伊吹山)
7 目印になる山、樹木、巨石を記憶する。
8 星と月の位置や月日を考え合わせ、方角を記憶する。(風水、陰陽五行、宿曜教、干支。   猿、犬、酉  は吉相の方角などなどの応用)
9 別に隕鉄などを含む隕石が落ちるのを観察する。(妙見・三宅)
10百足と呼ばれる石英の筋を岩石に探す。その先に鉱脈がある。

こうして地名がつけられてゆくと思われる。以上の所作を「鵜の目鷹の目」と言う。
鵜の目とは硫黄鉱脈、鷹の目とは黄銅鉱鉱脈を指す。
そして鉱物を掘り出す人夫(炭坑夫)が山にはいる。
最初は間歩入り口を掘り、坑道内に落盤を防ぐつっかえの木枠を組む。入り口は広く作る。
この状態を外から見るとお稲荷さんの鳥居が並んでいるように見える。
特に危険な箇所には一本木でつっかえをする。これは神社の心の御柱や家庭の大黒柱と同じ。
木組みには鳥居型と家型がある。家型は手のひらを合わせた合掌式のもので、長野県松本市の大室古墳群にある合掌式石室や九州の家型石棺にも似る。

峰入りの儀式は中国の鉱物王・禹が片足を怪我していた故事にちなみ「禹歩」(猿歩行)を行う。これはまず怪我をした歩行をしておくことで、採掘の落盤事故や病気や災いがないよう未然に山の神に祈るためだろう。
「猿まね」と言えるか。
なお禹王の片目はたたら製鉄師が片目が多いことを示し、片足なのは山師に事故が多いためであろう。
やがてあとになって彼らが追いやられてゆく過程で、山師=鬼=山の妖怪と変化していったと思われるのは、一つ目小僧、一本だたら、などの妖怪が各地で空想されてゆくからである。
同じ妖怪でもだいだら坊やダイダラボッチなどは巨人であるが、あれは「おおあなもち」=大己貴神と変化してゆく。大穴とは製鉄技法の「カンナ流し」から出ている。カンナとは「かんあな」=「鉄穴」であるから、カンナ場、鉄穴場、鉄輪などの地名が残る。近くには彼らの管理者の古墳が必ずある。

またネコ流し技法を使った場所は「糠」などの地名が残る。ネコとはヌカが訛ったものであろう。砂金、砂鉄を糠に見立てたのだ。

閼伽、赤地名は銅や鉄錆、あるいは朱沙の酸化した色などから。
サビから「寒い」が生まれる。
寒水(ソウズ)、寒川、寒田(サワダ)、走水(ソウミ)などは鉄を錆びさせる水が湧く処か。
斐伊川は氷川(ヒカワ)?錆で赤く染まる川。これが八岐大蛇の正体。スサノオは台風。暴風雨ガ大河を狂わせる。氾濫を治める治水工事であろう。
だからオロチの尾から砂鉄を表す天の叢雲剱が出てくる。

参考文献 田中勝也『東アジア古伝承と日本原住民』新泉社 1990年
       諏訪春雄『日本王権神話と中国南方神話』角川選書 2005年
       若尾五雄『黄金と百足-鉱山民俗学への道』人文書院 1994年
       谷川健一『四天王寺の鷹 謎の秦氏と物部氏を追って』河出書房新社2006年
       森 弘子『太宰府発見』海鳥社 2006年
       『新羅千年の古都 慶州』高麗書籍 1987年

http://white.ap.teacup.com/kawakatublog/

 
 
》記事一覧表示

新着順:13/13 《前のページ | 次のページ》
/13