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支援のお願い

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月 3日(金)09時08分15秒
  ご無沙汰しています。管理人です。
今回の震災にあたっては、全国の方々から多くの支援をいただきましたこと、心より感謝申し上げます。復興・・・にはほど遠い現状ではありますが、頑張りたいと思います。

さて、みなさまにお願いがあります。
実は、管理人学校のマリンバが使用不可能になっています。

うちの学校のマリンバは、震災の際、倒れてきたもので支柱が折れました。
ただ、沿岸部の津波被害の大きさと比較したり、応急修理でなんとかだましだまし使用できていたので、支援要請をしませんでした。(学校自体に大きな被害のない仙台市内の学校では、支援の声をあげるのは難しい空気もありました。)

しかし、過日崩壊しました。本体の製造が終了しているモデルのため部品の発注も修理もできません。

どこかで、まだ楽器購入支援をしている団体や個人の方がいらっしゃいましたら、ご協力をお願いします。費用は60~80万円です。

また、そういった情報がありましたら、管理人までお寄せ下さい。よろしくお願いします。
 
 

スーパーバンド2011やります!

 投稿者:ラスカルメール  投稿日:2011年 7月21日(木)17時01分3秒
  連日の猛暑に加えて大型の台風が来ましたが,みなさま元気にお過ごしでしょうか?
例によって,スーパーバンドのコンサートのご案内をさせていただきます。

日時:2011年8月27日(土)午後2時開演
会場:紀尾井ホール(四谷)
曲目:「ローマの松」,「運命の力」序曲,ポップスステージ

みなさまおなじみの「ウンリキ」は,杉本幸一先生のアレンジです!
チャンGのソロで「サマータイム」をやるはずですが,杉さんの楽譜がまだ上がってないようです。
今回,紀尾井ホールという,室内楽向きの小ぢんまりした会場になりましたが,
はたして,「松(バンダあり)」の大音量に聴衆や演奏者自身,ホール自体が耐え切れるのか,
大いに不安であります(笑)

客席数が少ないため,割り当てチケット数が限られておりますので,
ご来場ご希望の方がいらっしゃいましたら,お早めにお知らせください。
よろしくお願い申し上げます。
 

G様

 投稿者:座れない先輩  投稿日:2011年 6月21日(火)09時53分5秒
  今朝の“めざましテレビ”の芸能コーナー、ひばりさん23回忌の映像に映っておられましたねぇ。  

ヤシコバ スーパーオケ演奏会

 投稿者:ラスカルメール  投稿日:2011年 5月17日(火)10時42分5秒
  福島・宮城方面の方々,元気に活動を再開されたようで,ほっとしております。
まだまだ困難な状況が続きそうですが,がんばってください。

アナウンスするのを躊躇っていたのですが,演奏会のご案内をいたします。

●スーパーオーケストラ第3回演奏会
日時:5月22日(日)14:00開演
会場:大田区民ホール アプリコ大ホール
曲目:交響曲第3番「英雄」
      「ヘンゼルとグレーテル」序曲
      交響詩「禿山の一夜」
      「パイレーツ・オブ・カリビアン」抜粋

國學院OBも多く出演しますので,ぜひご来場ください。
「パイレーツ」ですが,ヤシコバさん,かなり力入れてます(笑)。
金管を厚くしたいとのことで,ホルン増量,おまけにユーフォまで…
チケットは無料でご用意できますので,お気軽にお問い合わせください。
 

昔の生徒の記事

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 5月 9日(月)02時38分16秒
  妊娠5カ月女性 もう決めた 名に亡き母の思い
2011年5月8日 朝刊

津波の被害が残る市内を歩く津田和広さん(左)と妻の佳代さん=宮城県石巻市で


 宮城県石巻市の理学療法士津田佳代さん(28)は、妊娠五カ月の子どもの名前をもう決めている。夫和広さん(28)には、まだ内緒だけれど。

 三月十一日は結婚後初めて、両親と一緒に、隣接の東松島市にある和広さんの実家を訪れる予定だった。「一緒にランチしようね」。母武山純子さん=当時(57)=と約束して、石巻市の実家へ迎えに行く途中だった。

 途中に立ち寄った銀行で、手続きが長引く間に地震が来た。「家の中グチャグチャになったから片付けてるよ」。母から届いたメールに「気を付けて。今から行くから待っててね」と返信したのが最後のやりとり。漁師の父は海に出ていて無事だったが、実家は津波に流され、純子さんは一週間後に遺体で見つかった。

 やりたいことを何でも応援してくれた母だった。小学生から始めたピアノやバスケットボールが途中で嫌になった時は「一度始めたことは、すぐやめないで」と厳しかった。

 妊娠が分かり、「まだ子どもの私が育てられるか不安だよ」と打ち明けると、「初めてなりにどうにかなる。子どもは育っていくんだから」と肩をたたいてくれた。

 出産予定は九月。男の子なら、実母の名前から一字を取って「純」と決めた。女の子なら生前に純子さんが出したアイデアで、和広さんの名前から「和(なごみ)」に。一人娘の自分を育ててくれたお母さん。思い出と励ましの言葉を胸に、その初孫となる赤ちゃんの誕生を待ち望んでいる。(柚木まり)



なぜか「東京新聞」に掲載されています。
石巻の学校にいた時の教え子。吹奏楽部のフルート吹きでした。
実家は石巻とありますが、いわゆる大川になります。
出身小学校は「大川小学校」です。
彼女の実家近辺は水没したまま。
でも、元気そうでなによりです。
 

石巻

 投稿者:TOYOTAメール  投稿日:2011年 5月 3日(火)20時32分36秒
  僕は石巻高校出身なのですが、石巻の人で未だに連絡取れない友人が数名います。連絡取れた友人はみんな奇跡的に助かった人ばかりで、自宅は流されたとか、2mの浸水とか、車がダメとかは当たり前的な状況の様です。

とにかく無事であって欲しい! 見つかって欲しい! 祈るしかありません。

郡吹で気仙沼出身の人がいるのですが、津波と大火災で壊滅状態で何も手を付けられないそうです。
管理人様の投稿を読むと、目に浮かぶ様で胸が苦しくなる思いです。
テレビの映像と現実は相当違いますね。

同じ被災地でも福島の苦悩とは大分違いますね。
 

郡山吹奏楽団 再会&再開

 投稿者:TOYOTAメール  投稿日:2011年 5月 3日(火)20時00分23秒
  福島は原発関連で混乱したまま、復旧が始まらない状況なのですが、これではどうしようもないので郡山吹奏楽団は復活しました(強引に始めました)

5/1は午前中、特別養護老人ホームでコンサート。午後は避難所でコンサート開催で大学生並みの強行日程でした。
老人ホームで感極まって涙。避難所でみんなの笑顔で涙。
夜は、これを機会に退団する(原発のせいで転勤)人の送別会で涙。

燃え尽き&涙&飲み過ぎ&寝不足で5/2は・・・・。若くない事を再確認しました。

でも、ホームページを更新しました。良ければ見てみて下さいね。


http://www.gunsui.com/

 

コンサートのご案内

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 4月26日(火)21時03分0秒
  東日本大震災の被災地出身の演奏家を中心にしたウインドオーケストラ(吹奏楽団)によるチャリティーコンサートが5月20日、渋谷区で開かれる。呼びかけ人の東京フィルハーモニー交響楽団のトランペット奏者で宮城県石巻市出身の安藤友樹さん(28)は、被災したふるさとを目の当たりにし、「僕らができるのは音楽」とコンサートに臨む。(石川純)

 海に近い建物の多くは津波で流され、道路だけが残る。石巻市門脇町。安藤さんは今月20日、震災後初めて故郷に帰り、あまりにも変わり果てたまちの姿に言葉を失った。ショックというよりも、現実離れした光景は、遠く見知らぬ場所に迷い込んだような気持ちを起こさせた。

 小学生の頃、習い始めたばかりのトランペットを手に、市の祭りで鼓笛隊の一員として歩いた商店街の店はヘドロで埋まっていた。トランペットの発表会をした市文化会館周辺は乾いたヘドロの粉じんが舞い、行き交う人々の多くはマスク姿。海から離れた実家は大きな被害を免れたが、両親を亡くした後輩もいる。

 今月初め、出身校の東京芸大の恩師から「東北出身の演奏家としてコンサートをやらないか」との話を受けた。「何かをしたい」と思いながらも、「衣食住も事欠く現地で音楽に何が出来るのか」と一歩を踏み出せずにいたが、呼びかけ人となることを決めた。

 石巻市に滞在中、避難所となっていた出身校の蛇田中学の音楽室で後輩の作曲家とともにトランペットを演奏した安藤さん。聴衆はたった2人だけだったが、30分ほどの演奏が終わると満面の笑みで「ありがとう」と言われた。「音楽も被災者の役に立てる」。そんな思いをさらに強くした。

 被災地出身の演奏家らに声をかけると皆、二つ返事で無償参加を引き受けてくれた。岩手、宮城、福島県出身のトランペット、トロンボーン、ホルン、フルート奏者ら約50人が集まった。実家の楽器店が津波被害に遭い、楽器がすべて流されたファゴット奏者もいる。

 コンサートでは、オーケストラと合唱団で東北地方の民謡のメドレーや「ふるさと」などを演奏する。収益は被災地の学校への楽器、教材の提供に使われる。

 東京オペラシティコンサートホール(渋谷区西新宿3)で午後7時開演。全席指定。5000円。問い合わせ、申し込みは実行委員会事務局((電)03・5449・1331、ファクス03・5449・1332)へ。

(2011年4月26日  読売新聞)


安藤君は石巻西高校吹奏楽部の部長でした。
記事のとおり、今は東フィルのトランペット奏者です。
お時間のある方は、是非足をお運びください。
元担任からのお願いです。
 

ベガルタ仙台2

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 4月25日(月)00時08分44秒
  座れない先輩

ベガルタ写真ありがとうございます。
この週末、いよいよベガルタはホーム開幕戦です。
ちなみに、昨年のベガルタホーム開幕戦のファンファーレを演奏したのは、実はうちの吹奏楽部。
ベガルタ仙台のファンファーレ「闘志躍動」の作曲は、課題曲で有名な内藤淳一先生でして、その縁で演奏しましたです。

なんだか、いつも暗い内容ですいませんです。
月曜日の昼休みは、恒例の「吹奏楽部、新入生歓迎中庭コンサート」です。
今日はその練習。
津波で家と家族とを失った生徒が、元気にダンス隊で踊っているのを見て、ちょっと泣きそうになった今日この頃です。
 

ベガルタ仙台

 投稿者:座れない先輩  投稿日:2011年 4月23日(土)16時19分57秒
編集済
  1-2で勝ったねぇ。

等々力陸上競技場のベガルタサポーターの皆さんです。
 

多謝、感謝

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 4月20日(水)20時11分59秒
  本当にありがとうございます。
しかも二本も・・・言葉もないです。マジでありがとうございます。

宮城県の高校は明日が始業式&入学式です。うちもそうです。
ただ、実施できない学校もありますが・・・。

テレビでは復興に舵を切るような発言、報道が多いのですが・・・
確かに、津波がこなかった所はそうです。それでいいんです。
しかし、津波に襲われたところは未だそれどころでは全然ないんです。

まず住民が避難所から出られない・・・
南三陸町や気仙沼などでは仮設住宅などが建ち始めています。避難所である学校の校庭にね。
南三陸町や気仙沼は内陸からの国道があるので、これを使って他地区に避難することが可能です。仮設住宅用の資材や物資も運び込めます。また、津波の威力が強すぎてがれきの量が少ないこともあります。(つまり引き波で全部海中ということです)

ところが石巻、女川、大川、雄勝などは、内陸からのルートがない。海沿いの国道を進むのみ。そのどん詰まりに石巻があり、さらにその先に女川や雄勝町があります。従って大型車両や大型資材はまだ入れない。
またこのあたりは住宅街なので(学校もある)がれきの量が半端ではない。
すでに一ヶ月以上経ちますが、石巻の湊地区から渡波、そして女川方面は、道路部分のがれきを「除けた」だけで「撤去」は全くされていません。ガソリンスタンドに家と自動車があの日のままの状態で突っ込んでいます。
加えて、地盤沈下と大潮で国道が冠水しています。中には津波で一階部分をやられ、やっと片付けたと思ったら大潮の満潮時に再び床上浸水(毎日)というエリアも多いです。
学校を再開したいのですが、通学路が冠水し(深いところで腰まで)通学路が確保できない状況です。
過日、石巻・女川方面に行った時も、国道が冠水していて私の車(fit)でギリギリだったのですが(軽自動車はアウト・・・私の目の前で浮いた・・・)今は、私の車ではもう行けないという連絡が来ました。沈没するそうです。
ちなみに冠水した部分は、海水+重油+泥+生活排水が混じっていまして、これがものすごいにおいです。私の車はまだにおいが取れません。

石原軍団が石巻にいますが・・・あの炊き出しに行ける人は、もうだいじょぶな人だけです。炊き出しの場所も、北上川の手前のがれき撤去が進んだ部分で、大型車両が通れる場所です。その先に、湊~渡波があります。あの日のままの状態で、避難所である学校か、自宅難民として生活しています。ホコリとにおいがすごいです。ライフラインは全滅のままです。炊き出しをしたくても、ホコリが酷くて不可能なんです。もちろんそこに菅首相は来ていません・・・。
トイレは・・・仮設トイレも使用不可能(バキュームカーが入れない。またはバキュームカーで収集しても処理する場所がない)になっていて、段ボールか板でつくったスペースの中で新聞紙にして、それを丸めて所定の場所に捨てるという状況です。
しかし、高齢者にはそれがどうしてもできない人(若干痴呆気味)もいて、新聞紙を敷かずそのまま、或いは新聞紙にしてそのまま・・・そして次の人もそのまま・・というわけでミルフィール状態です。で、ノロウィルス発生・・・。

その地区のがれき撤去がなぜなされないのか??
避難所(と言っても学校なんですけどね)の衛生や住環境がなぜ改善されないのか??
どうしても理解できません。
いわゆるお役所仕事なのか・・・。津波がきた所に住居は建てないようにするということは、その場所は放置なのかもしれません。ただ、そこにいる人ってのケアは、もっと進んだ段階にしないと・・・と思いますが、もう私の車では行けないので気をもむばかりです。

ほんと・・・どうなるんだろう・・・。

石巻は声も出ません。女川は涙もでません。
週末は、その石巻・湊小学校に逃げ込んで生還した教え子と会います。
そろそろその教え子、病んできて、誰かにしゃべらないとPTSDになりそうみたい・・・

 

(無題)

 投稿者:こばひろ2  投稿日:2011年 4月19日(火)23時21分16秒
  管理人さま
遅くなりましたが、”スワブ”、リードを買い揃えて、今日楽器二台と一緒に
送りました。(こちらの楽器屋さんも被災していて先週の金曜にやっと再開されました)
楽器屋さんにも、宮城楽器BANKのチラシを置いてもらい、新しく楽器を買いに来た人に
宣伝してもらうようお願いしてきました。
※セルマー一台は同期のK子ちゃんから預かっていた物です。(もう使わないので、私が
預かって誰か使いそうな人に譲ってもらえればということで。今回送ることに対しても
快く承諾してくれました。)

今まで募金等はしていましたが、自分の援助がどのように使われたのかわからなくて、
今回このような目に見える形で支援させてもらえてうれしいです。
うちの物入れにしまいっぱなしより、被災地で生徒さんたちに使ってもらった方が
楽器も喜ぶでしょう。

p.s. 今、直下型の地震が来ました。どうもこの辺が震源だったようです。
いきなりで怖かった・・・
 

感謝!

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 4月10日(日)06時14分13秒
  こばひろ2さん

本当にありがとうございます。ちなみに布は「スワブ」です。
本当に感謝感謝感謝です。
生徒は、本当に喜ぶと思います。大事に使います。ありがとうございます。

過日の余震は、折角片付けた音楽室がまた・・・です。
加えてマリンバが倒れてきたハープを受けとめたらしく、マリンバ、逝ってしまいました。
80万円もしたのに・・・。
ちなみに、大きな被害のない本校でも楽器の損傷は多少あります。
揺れた時に椅子にもぐったり避難したりしましたが、その際、本人もおぼえていない状況ですが(当たり前)楽器に負担がかかったらしく、その修理にもろもろ20万円ほどかかります。参ります・・・。

来週は、楽器屋さんに来てもらって本校所有の全楽器を点検してもらいます。
うちは、学校ができて30年ちょっとの新設校です。
新設された際に買った楽器がまだあります。ただ、今は誰も使っていません。
(また一時期楽器の扱いが非常に悪かったので、楽器のコンディションもよくない)
これを何とか調整できたら、楽器BANKに送ろうと思っています。
古い楽器ですが、新しい楽器をそろえるまでの一時避難でも使用できればと考えています。

今日はこれから、南三陸から気仙沼に行ってきます。
私が宮城県に来て最初に勤務したのは、現在の気仙沼市本吉町の高校でした。
ちょうど南三陸町と気仙沼の間にあります。そのエリアが学区です。
何人かのかつての生徒たちと連絡が取れました。今日は彼女たちに会ってきます。
避難後に祖父を亡くしたり、弟が津波に流されたり・・・でも、頑張ってるみたいです。
再会したら、たぶん泣くな(笑)

先日の余震で県内のJRはまた全線ストップです。
余震は、いわゆる直下型の揺れで、時間は短かったですが、3.11より強かったです。
我が家はあの時倒れなかった本棚が倒れ、学校周辺は地盤沈下が激しいです。

折角、ライフラインが復旧しJRが動きだして軌道に乗ってきた学校や部活動は、また一からやり直しです。
JRの復旧が今月中旬から下旬にずれこんだので、吹奏楽は部員の半分が登校できません。
登校するなら自転車で1~2時間になります。そもそも登校の前に水汲み生活です。
また、余震でコンクール会場となっているホールの天井が落下し復旧の目処はたちません。

それでも、登校できる生徒だけで月曜日から練習を再開します。
後片付けして、楽器を点検して、入学式の練習です。
前向きにやるしかないっすね。
 

(無題)

 投稿者:こばひろ2  投稿日:2011年 4月 7日(木)14時56分33秒
  早速、新しいリード、掃除布(名前忘れました・・・)等買い揃えて
楽器と一緒に送りたいと思います。

 

お願い

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 4月 6日(水)06時09分6秒
  うちの学校はだいじょぶです。
しかし、津波で沿岸部の学校の吹奏楽部は壊滅です。
卒業式の練習で体育館に楽器を置いていたが学校も多く状況は深刻です。
石巻や気仙沼では楽器屋さんも被災し、店頭や倉庫の楽器も壊滅です。

被災地の小学校・中学校では3月末日に卒業式や修業式が行われました。
そこでは自衛隊東北方面音楽隊が、その学校の「校歌」を演奏したそうです。

詳しくは →  http://www.ajba.or.jp/miyagi/


                                                   宮城県吹奏楽連盟
                                                          会長 三 塚 尚 可

             東日本大震災による楽器救済「宮城県楽器BANK 」開設のお知らせ

この度の東北・関東地方を襲った巨大地震によって多大な被害を受けられたみなさまに、
心よりお見舞い申し上げます。また、全国各地の皆様から寄せられました励ましやお見舞
いに対しまして厚く御礼申し上げます。
さて、今回の大震災では連盟加盟の多くの団体が楽器を失ってしまいました。その現状
を察して多くの方々から当連盟に対しまして「いま使っていない楽器をぜひ寄贈したい」
とのお申し出をいただきました。そこで対応について検討し、急遽「宮城県楽器BANK」
を開設することにいたしました。
みなさまからのあたたかいご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
詳細に関しまして以下のとおりです。

送り先
東北高等学校音楽部
〒981-3214 宮城県仙台市泉区館七丁目101番1号
電話: 022-379-6001 F A X : 022-379-6003
担当: 宮城県吹奏楽連盟副理事長遠藤昇
※ 恐れ入りますが送料はご負担いただきますよう、お願いいたします。

支援内容
楽器( 管楽器・打楽器など吹奏楽団体が使用できる楽器)
用品( 木管リード・マウスピース・マレット・譜面台等)
その他の楽器アクセサリー用品

なお、お寄せいただきました楽器・用品等は、被災した小学校・中学校・高等学校の団体に寄与させていただきます。その振り分けに関しては、宮城県吹奏楽連盟に寄託させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
 

被災地の現実

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 4月 3日(日)20時15分17秒
  過日、行方不明だった生徒の安否が判明しました。

遺体安置所で両親が発見し、彼女は無事両親の元に帰ることができました。
被災の現状を見てきた者としては、彼女が両親の元に帰ることができたことを喜びたいと思っています。

彼女はその日、所属する合唱部の練習を休み自宅にいました。熱があったようです。
地震の直後、近所に住む祖父が孫の様子を見に行くからという連絡が仙台市内で働く両親のもとに入ったそうです。
その後、祖父とも本人とも連絡が取れない両親は(この頃すでに携帯はつながりにくかった)、職場からまず学校に来ました。この段階で、両親は娘が練習を休んでいたことは知りませんでした(合唱の練習は、基本的に午前で終わる)。ので、帰宅途中に電車がとまってどこかにいる・・・という認識でした。

彼女の自宅は名取市閖上、名取川の河口付近です。
自宅付近は完全に水没しています。両親は避難所を巡りましたが発見できません。
ガソリンがなくなりかけたころ、遺体安置所で祖父を発見します。
祖父のご葬儀が終わった時、両親はもう一度遺体安置所を巡ってみようと思ったそうです。

3月29日に娘と思われる遺体を発見しました。
しかし・・・一つの遺体に、複数の家族が「これは私の娘です」と申し出ているのです。
これは彼女のケースだけでなく、こういう場面ではよくあることなのだそうです。
自宅が津波で流され水没しているため、検証するものがありません。
DNA鑑定も不可能、通っていた歯医者も水没です。
しかい幸い、学校の保健室に歯科検診の記録がありました。
これが決め手となって彼女であることが科学的に証明されてご両親のもとに帰りました。

両親は斎場に向かいましたが、現段階で150人待ちなのだそうです。
従ってお通夜、葬儀は未定です。ご両親は避難所生活中です。

自宅は流れています。加えてその付近には近寄ることができません。
ご両親は娘の思い出を一切なくしています。残ったのは彼女の生徒手帳だけです。

昨日から音楽室の片付けをし、その際、彼女の写真を何枚か発見できました。
仲の良かった生徒には、彼女との思い出を手紙に書いておくように伝えました。
写真と手紙とをまとめてご両親に渡す予定です。

そんなお話・・・。










 

ひとつの現実

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 4月 3日(日)05時34分39秒
  福島も頑張ろうね。

現在、仙台市内はほぼ日常が戻ってきています。
私の車のガソリンは満タンです。
ガスももうすぐ復旧ですが、ガスなし生活が日常になっていてもう気になりません。

というわけで、これから仙台市内の高校では転校生の受け入れがはじまります。
現在、原発避難地域のH高校から2名の照会がありました。
県教委からは、被災地域からの転入については柔軟・弾力的に行うことと、各学校は1クラス5名をめどに受け入れることを通知してきました。
私の学校は7クラス×3学年なので100名くらい受け入れる可能性があるってことです。

そのH高校では、教職員も避難していて(避難命令なので)、学校に残っているのは管理職、教員が数名(これは事務処理のために「残ることを命令された教職員」)。
昨日だけで、転入照会のための書類を100名分作成したとのことです。

宮城県内の公立高校は約100校。
この中で被災者を受け入れるだけの余裕がある学校はそんなにありません。
生徒だけでなく家族も引っ越してきますから、住居、仕事、生活・・・もろもろを考えるとやはり都心部の学校にならざるを得ません。

県内沿岸部の地域では、被災者住宅ができあがる9月ころまで、県内の内陸部(温泉場など)に避難所ごと引っ越し、被災者住宅ができあがったところで戻るという予定のようです。こういう場合は一時的な転校になります。
しかし、特に福島県内からの転校については、そのまま本校で卒業になる可能性が高いです。そうなると、いろいろ大変だと思います。

TOYOTA君。もし一家転住の場合は本校へどうぞ(笑)
いとこもいるでしょ(笑)。
あたしは2年生の副担任で、授業も2年生しかいかないからだいじょぶだよ。

・・・というわけで
・・・生徒の安否のこと、私の石巻、女川、山元町訪問記はまた後日。
 

福島もがんばっています。

 投稿者:TOYOTAメール  投稿日:2011年 4月 3日(日)00時26分6秒
  この間、宮城の実家に行ったので、「ありえない」風景は本当にありました。

ところで、福島は原発問題が解決するまで「復興」が始まっていないのです。今日郡山の「ビッグパレット」という施設を見てきました。「ここが本当に日本なのか?」と疑いたくなる状況です。ぎゅうぎゅう詰め状態で約1200名の方が避難しているとの事。

郡山吹奏楽団は練習会場が確保できず、再開できていないのですが、今月ビッグパレットでコンサートを開催する事に決めました(団長の一存で)
みんなさまざまな形でサポートしてくれていますが、郡吹のできることは「心を込めて演奏する」事と確信しました。
【音楽には無限の力がある】そう信じています。


それにしても、原発はいい加減に納まって欲しいです。
 

修業式

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 3月31日(木)05時45分58秒
  昨日、延期になっていた修業式、離任式がありました。
生徒達は、あの日以来の再会。つもる話もあったと思います。
まだJRが復旧していないので、自転車で2時間かけてきたりという生徒も多数。
全てを失って私服で来る生徒もいます。
もちろん、来れない生徒いますが・・・。

離任式ですから、この3月に卒業した学年の生徒も多数来ました。
家を失った生徒も、お世話になった先生の退職だからと駆けつけてきました。
卒業生には、被災した在校生のために制服、教科書類の寄付を事前に呼びかけていました。
これが予想を上回り集まる集まる。ものすごい数になりました。
被災者を上回って集まりました。えらい騒ぎです(笑)。

家を失った卒業生が「受験はだめだったので浪人します」、その一言のためにわざわざ学校に来る・・・。たしかに携帯も何もかも失ったので連絡手段がなかったのですが・・・。
律儀な奴らです。

浪人したヤツも、第一志望がダメで地元私立に通うことになったヤツも、報告に来てくれた奴らに先生方がかけた言葉。
「どこの大学で学ぶかではなく、何を学ぶかが大切なんだ」
「大学でも諦めずに勉強して、首席で卒業しよう」
「この大震災の中、行く大学があること、浪人できること、学べることに素直に感謝しよう」

そんな一日です。

 

ありがとうございます

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 3月27日(日)19時13分16秒
  たなか君。その時は、お願いします。
もちろん、そうならないことを祈るのですが・・・。

「本当に」被災した地域をみてきました。
仙台港から多賀城付近です。
フジテレビの朝の番組で、家族が自動車の中にいた母を発見するシーンがありましたが、その場所付近です。

まだ電気が来ていないので信号は機能していません。
ホコリがすごいです。においもすごいです。下水がマンホールからあふれています。
もう2週間以上も経過しているのに、ありえない場所に自動車やJRのコンテナや船があり、
自動車とコンテナはどんな交通事故よりも激しく破壊されています。
フロントガラスが割れた車が多いのです。乗っていた人は脱出できたのでしょうか・・・。

住宅街に入ると、まず、ここまで水がきたことが信じられないです。
地図上でここまで・・・とわかっていても、その場にいってみると信じられません。
そこに家を建ててはいかんだろう・・・とは誰も言えない場所です。

完全に流された家もあります。
また、家の一階だけを正確に貫いた(という表現しかできない)一角もあります。

津波は、駅前を流れる小さな川で止まったようです。
天国と地獄の境界線がはっきり見えます。
天国の風景には何の変化もありません。
壊された町には、給水の長い列と自衛隊による炊き出しの旗がたっています。

多賀城はいわゆる新興住宅街です。家が延々とならんでいます。
駅近くには個人商店がありますが、すべて被災しており営業は無理です。
国道沿いの大型店舗(スーパー、レストラン、紳士服、ガソリンスタンド、大型家電)
・・それらが全滅しています。
JRはまだ不通、バス路線もまだ復活しません。
車を失った人々は日々の生活のため、1時間以上歩いて食料を買いにいかなといけません。

私の住んでいる地域はすっかり日常になりつつありますが、まだライフラインが全滅しているこの町には、人間が住んでいる気配を感じません。
津波がどんなスピードと破壊力を持っているか、それだけをひしひしと感じます。

ここも、うちの生徒が住む町です。
簡単に頑張れなんて言えない。一日を生きるためにどんなエネルギーが必要か・・・。

一番ふさわしいことばは、しんぼうかもしれません。
 

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